薄闇が漂い始めた。
そろそろ自宮に帰ろうかと思っていた私の意志とは反対に、ふと旋律が口をついて零れる。
「娘の持つのは銀の鈴、しゃらりとたつのは涼やかなおと」
それに応じたシャカが、続きをつける。
「赤い鈴紐ふわりと揺れる、愛しいひとのいる方へ」
一節歌ったところで、青い瞳がこちらを見つめる。
始まったいつもの応酬。
処女宮のシャカの自室、絨毯の上で寝ころんでお互いの顔を見ながら歌を続ける。途切れるまで。
私といる時の彼は目を開けている事が多い。何故?と一度聞いた事があったが、その時は「さあ、何故だろう」と返されて終わりだった。
始まった応酬に、先に音を上げたのは私だった。これで何度目だろうという程に私で途切れさせている。少し悔しい。
私は軽く身を起こして隣に寝転ぶシャカに口づけを落とす。
唇を離すと、今度はシャカが私の首に腕を回して口づける。さっきとは違う、貪欲なキス。唇を割って入ってくる舌に合わせて自分もそれを貪る。
つ、と唇を離して、どちらのものか解らない唾液を拭う。
いつからかこれが、終わりと始まりの合図になっていた。
脱がすのも脱がされるのもお互い得手ではないのは、初めて寝た時に識った。
それに絨毯の上では背中が痛いから、ベッドに移動するついでに脱ぐのが習慣になっていた。
ただ、今日は珍しく、上を脱いだだけでシャカが私の胸に手を置いてきた。
「まだ全部脱いでませんが」
「今日は私が脱がす」
身体をゆっくりと寝台に倒しつつ首に口づけを落としながら、シャカは私の下穿きの紐を解いていく。
「っつ……」
声を我慢しようとして、私はシャカの頭を撫でる。
さらさらとした感触が心地いい。しなやかな繊細な髪。
言った事はないけれども、この髪に触れられるのにも私の身体は反応するようになってしまっていた。
当然手の方が直接的な快楽は強いし、触れられているという高揚も強い。
けれども、不意打ちのように髪で撫でられると、私はどうしようもなく反応してしまうのだ。
金の髪と私の薄紫の髪が寝台で混じりあっている。
肌と肌のふれあう場所がまだ熱い。さっきまでの熱が凝っているようだ。
まだ欲しいんだろうか。私は自分がそういった事に対しては無関心な方だと思っていたから、シャカとこんな事になったのも不思議だったし、今でも時折抱かれに行くのも、抱かれるのもまだ違和感が拭い切れていない。
でもひとつ確かだと思うのは、シャカにだからこういう自分を見せられるという事だった。
そこに理由も理屈もない。ただ、そうだ思った。それだけだった。
誰かに聞けば回答が得られるかとも思うが、こんな話を誰かにするつもりなどない。
私は寝台から出て、この宮の主に湯を借りると告げた。
脱ぎ散らかされた服を拾い上げて、素足のままそちらへ足を向ける。
無駄になるぞ、朝にしたまえと声がかかるが、それは無視した。
この宮の浴場は質素だ。私の宮も人の事は言えないが。
浴槽はなく、水を溜める桶があるばかり。外に沐浴用の場所があるから、それでいいんだろう。
桶から手桶で掬って身体に水を掛ける。
ぬるい温度の水は火照る肌を醒ましてくれる。
ふっとこれは備え付けの鏡を見れば、胸元に幾つか赤い跡。ぎりぎり見えない場所にというのがシャカらしい。
軽く身体の水を払って、乾いた布で身体を拭く。服を着けてまたシャカのところへ戻る。
「――っ!?」
問答無用にまたベッドに引きずり込まれた。脱がすのも面倒だ、というように腰紐だけ解いて、服と肌の間に指が侵入ってくる。
「さっきしたでしょう?」
「嫌かね?」
涼しい声が訊く。
「そういうわけでは」
ないですという前に、唇が塞がれる。
私は諦めて、シャカに身を委ねた。
「……今日はどうしたんですか」
二度目が終わって、私はもう諦めた。シャカはじっとこっちを見ている。
日はとうに落ちて、部屋の灯りは壁に吊してある飾りのついたランプ2つだけ。
「君がして欲しそうだったからね」
「……」
私はもぞり、と起き上がってシャカの顔を見下ろす。
「そんなことはないですよ。帰ろうと思ってましたから」
その私の言葉にふふ、と意地の悪い微笑みをシャカは浮かべた。
「帰ろうと思ったものが、いつもの勝負を始めるかな」
「……」
はあ、と溜息を吐いて私は諦める。そう、歌い始めてしまったところで私の負けだった。
三度目は流石にないようで、私はふと以前もぶつけた質問を再度してみる。
「前も訊きましたけど、どうして私といる時には目を開けてるんですか」
「それは、君を肉眼でしっかり見たいからだよ」
誰も識らない普段と違う君を見られるんだから、直接見るのが礼儀だろう。
「……ッ」
それって、ものすごく恥ずかしい事を言っているのを、この人は解っているのだろうか。
照れ隠しに背を向けて、私は少し寝ますと告げる。
シャカはそんな私の気持ちを察しているのかいないのか、今度は彼が起き上がって私の髪と肩を撫でる。
「ゆっくり休むといい」
声色は笑っている。苦笑に近いようだけれども。
そういえば服を着ないで寝るのは初めてだったな、と思い返す。
目を閉じると泥濘のような温かい眠気が身体を捉えていく。
眠りに落ちきる間際に首にさらりとした髪の感触と、頬に柔らかい唇の感触があった気がした。
ムウが溜息のように始めた旋律を留めたくて、私は続きを歌う。
深い緑の目は意図を察したように続けるが、今日も途中で店じまいのようだった。
柔らかい唇が触れる。先程までとは違う声を聴かせてもらおうか、と私はムウに自分から口付けし直した。
ムウを抱いたあとはいつもそうだが、今回もご多分に漏れずだった。
彼はすぐ風呂へゆくと行って裸のままぺたぺたとそちらへ向かった。
いつも余韻などない。余韻を楽しみたければ私も風呂へついて行く。もしくは、服を着て戻ってくるムウと、
彼が眠りにつくまで話すぐらいだ。
でも今日はそうしたくない。水を浴びて服を着てきた彼を、強引にまた引きずり込んだ。
流石に疲れたような顔をした彼は、気だるげに身を起こして私にひとつ訊く。
前も訊かれた質問。ああ、あの時は私も解らなかった。今なら言える。
君を視たいから。自分に備わった肉体で。君と同じ条件で、君を視たい。
私しか視られない君を。
そう答えると彼は、かあっと首まで赤くなった。そして、唐突に眠くなったので寝ますと宣言して、私に背を向けた。
珍しく服も着けずに寝るのか。そんなに今の言葉が効いたのかと私はつい愛おしくなる。
眠かったのは本当のようで、すぐに気配が変わる。
その間際に私は、ムウの頬に口づけを落とした。
笹川美和「誘い」を聞きながら。
フェチを詰め込んでしまった気がするのでもう何も言うまい……。
最中より事後とかその前を書くのが好きだと最近気づきました。