リフレイン




 久々にアルデバランは自室の書棚を片付けていた。
 女神の方針で新聞を始めとして世界各国の経済誌や語学の本、文化教養、果てはゴシップ誌や小説まで毎日何冊か配本される。溜まってしまうしかさばる物なので、興味がなければ捨てるのも構わないという言葉に甘えて、一読はするが興味がなければ宮内の通路に設けた書籍棚に入れておく。文官も聖闘士候補生も誰でも持っていって構わない。たまにお礼の手紙が置いてあるのが有り難いことだ。
 これはそこに持っていこうと手に持った本を置き、書棚に入った本を出そうとして、その上に載った古びた箱に気づく。
 糸で蓋が開かないようにしてあるそれの上にメモで『本棚の裏に入っていました』という文字が書かれている。開けると、紺色の硝子でできたペンが転がり出てきた。
「……こんなところに」
 春とも夏ともつかない五月まだ浅い頃。聖衣を授かってまだ間もなく、金牛宮にも馴染みの薄かった頃の記憶をふと思い出した。



 その頃は黄金聖闘士が内容を吟味し決裁しているような宮はいくつもなかったと記憶している。ここ金牛宮もおおよその事務は文官が全てこなしてくれていた。幼い自分にはまだ任せるというわけにはいかなかったようだ。
 教皇も聖衣を授かって期間の短いものには『事務ごとより鍛錬と学習を』と言う方針を採っていたし、実際当時の自分がやっていたことといえば指示された場所へのサインだけだった。訓練も座学も休みの何もない日に渡されて、少しの時間をそれに費やす。
 ゆっくりと丁寧に。それでも仕事はすぐ終わってしまい、時間を持てあます。その日は丁度文官も下がっていたので、ふと思い立って、自分に割り当てられた執務室を探検していた。
 古い時代のものが引き出しにそのまま入っている。宮の主が突然に亡くなればその部屋は片付けをすることもなく暫く閉じるらしく、今回アルデバランに与えられた部屋も数代前の牡牛座の使っていた部屋のようだった。
 ごとり、と重い音がして、何かが手前に転がってくる。
 ペンのような硝子の棒。透明な筆先に溝が入っていて、濃い紺色から黒に流れる持ち手には金色の細かな春の花模様が施されていた。

「ガラスペンだな」
 サガは今日は聖域の外に出ている。分からないかも知れないがムウに聞こうと白羊宮に向かおうとした途中で、教皇と会ったのは僥倖だった。しかし、どうしても重ねてきた年の分の威圧感を背負った教皇といると緊張の為か背筋が伸びる思いがする。
「そんなに昔のものでもないようだが、面白いものだ」
 誰かが土産に買ってきた気もするな、と呟いて教皇は机においてあるインクの蓋を開けた。ほの青いインクの香りが部屋に満ちていく。
「こうして一度インクを吸わせると、書類一枚はゆうに書ける」

 そう言って老いた指先は文字を綴った。
 
  森は今、花さきみだれ
  艶なりや、五月たちける。
  神よ、擁護をたれたまへ、
  あまりに幸のおほければ。







 そこで、教皇は一旦筆を置こうとしたが、自分の目が先を促していたのだろう。一瞬考えて文字を続けた。

  ……やがてぞ花は散りしぼみ、
  艶なる時も過ぎにける。
  神よ擁護をたれたまへ、
  あまりにつらき災な来そ。

 一瞬だけ見えた紙にはそう書いてあった気がする。後半の文字を潰して紙を畳んで箱に入れたあと、教皇はアルデバランに向けてそのペンを差し出した。 
「お前が使うといい。今日見つかったのも、この部屋の元の持ち主からの恩寵だろう」
「今日」
「誕生日だろう。今公に知っているのは私ぐらいか。ならば忘れても仕方ないな」
 そうやってシオンの手のひらがアルデバランの手にペンを握らせる。
 聖域に入ったときに、誕生日は聞かれてもおおよそで答えることといわれていたのを今更思い出す。それでも親しい人間は何人か知っているけれども、当時は聖域の不文律として表だってなにも祝うことはなかった。



 その日も教皇シオンの白羊宮来訪が、本当は帰りに自分を訪れる為のものだったと聞いたのは、それこそ最近のことだった。
 あの時に詩の後半を書くのを躊躇った気持ちは今となれば分かるなとアルデバランは苦笑いした。ただ、神の擁護はきちんとあって、今はこうして日々を過ごしている。
 結局ペンは潰してしまうのが怖くて使えず、仕舞い込んでいるうちに聖域は激変して、それでもまだこうしてここに戻ってきた。
 折しも、まためぐりきた誕生日に。
 
 今の聖域は、誕生日を隠すこともなく祝える。箱の底に入った古ぼけた紙の下に、アルデバランは最初の四行を繰りかえし足した。

  森は今、花さきみだれ
  艶なりや、五月たちける。
  神よ、擁護をたれたまへ、
  あまりに幸のおほければ――
  


 丁度、誰かの来訪を告げる声が耳に入る。箱を丁寧に机において、アルデバランはそちらに足を向けた。



文中の詩は下記を引用いたしました。

『海潮音』 上田敏  春/パウル・バルシュ
http://www.aozora.gr.jp/cards/000235/files/2259_34474.html



アルデバランさんお誕生日おめでとうございます2017!

そして「telescopic star」の実槻さんにイラストを戴きました。本当にありがとうございます……!
子供時代のアルデバランさんが凄く可愛いです。掲載許可重ねてありがとうございます!(オンマウスでセピアカラーになります)