Falling Down


 ※加齢有り・死にネタです・注意※








 彼が身罷った、と聞いたのは氷も解ける春の先駆けだった。
 亡骸は聖域に眠ることもなく、ただ一筋の遺髪が届けられ棺に納められ、身体はすべて炎によって跡形もなく焼かれたと聞いた。聖域の墓守を永く続けていればこういう事も多くは無いが、ある。
 ――聖戦を生きた牡羊座の名が刻まれた石を彼は静かに見つめた。
 アリエスのムウ、彼が死んだ。

 シャカはいつものように静かに目を開けた。隣では静かにムウが眠っている。起こさないようにシャカは身を起こした。空が見たい。
 今日は星が見えるだろうか。少し肌に冷たい春先の空気が開いた扉から漂ってきた。
 聖闘士を辞した二人が終のすみかと定めたのは、小さな家とも言えない、山あいの少し開けた場所にある棄てられた建物だった。二人でそれを建て直して、今は少しは見られる様にはなっている。
 現の目で見る空に今日も星は見えない。振り返ると、ムウが上着を抱えて戸口に佇んでいた。
「寒いでしょう?」
 言葉を紡ぐ唇から零れる息は白い。されるがままにシャカは上着を着せかけられた。
 そう、最近めっきり寒さに弱くなった。自分もムウももう不惑に手が届く。二人で過ごした年月は人生の半分以上になっていた。
「戻りましょう。まだ夜は明けませんから」
 夜の闇にもしろい腕がシャカの腕を絡めとる。
「もう少しここにいてはいけないのか」
 ムウは一瞬、思ってもみないことを言われたように怪訝な顔をしたあと、風邪をひきますよと微笑んだ。
 シャカはムウに引かれるまま足を進めようとして――留まった。
「シャカ?」
 ムウの目が見開かれる。美しい緑の目。そうだ、自分はこの目が好きだった。
「私は死んだ筈だ。何故私の中に君がいる」
 シャカが静かにムウを断罪する。
 

 聖戦で酷使した身体は甦ったあと、聖闘士を辞したことで急激に弱った。それでも寄り添いつつ五年、十年と年を重ねて。
 あの日、最後に星を見ようと眠ったムウをそのままにして外に出て、座り込んだまま目を閉じてからの新しい記憶が無い。
 最後に思いだすのは哭くようなムウの声。身体全体で叫ぶような声だった。
 それから何度この時を繰り返しているのだ。死ぬ寸前の、この時を。
「それは、違う。貴方は死んでいない。明日も私と一緒にいるんだ」
「違わない。私は君とは違う世界にいる」
 ぴしりと足元に亀裂が走り、水が流れる。自分が自覚したことで、世界が割れたのだ。だんだんと広がる流れに腕が離れていく。
 ムウの腕が追いすがるように動き、そして力なく垂れた。
「だって、あんなにいきなり別れるなんて、あの夜も、普通におやすみなさいって言って……なのに」
 ムウの声が潤んでいく。成程、生まれつき備えた能力は小宇宙を閉じても消えない。
 自分の遺髪、遺品をから記憶や魂を惹きだして、シャカの中に這入り込んでいたのか。
「君は私が気づくまでどれだけ無茶をしたのか」
 我知らず苦いものが混じる声。シャカという魂を留め続けるのに、ムウはどれだけ魂を削っていたのか。
 それが出来るが故の不幸か。いや、幸せなのだろうか。幸せだったのだろうか、こんな、決まり切った繰り返しの逢瀬が。
「貴方の魂を弄ぶつもりは無かった! ただ、さようならが言いたくて……でもいつも言えなかった!」
 私の弱さだ。とムウは子供のようにうなだれた。
 ムウはここから目覚めたらどうするのだろうという疑問がシャカの頭を過ぎる。彼は自分に断罪されたがっている。それがされないとなればどうするのか。


 お互いを隔てる水の流れはどんどん深く広く、速くなっていく。
 シャカはふと、思いついたような声色で告げる。
「ムウ、もし君が私に許して欲しいなら、私のこの手が届くうちに手を取れ」
 ゆるりとシャカはムウに手を伸ばす。こちらに来いと、シャカは誘っているのだ。弾かれたようにムウは顔を上げた。
「いいのですか」
 死しても世界を同じくする。それはムウにはシャカしか居らず、シャカにはムウしかいない世界。
「知れたこと。君はここまで来たのだから同じだ」
 涙顔で笑いながら、ムウの指が触れて、シャカの指に絡む。引き寄せるとムウは容易くシャカの腕の中に収まった。
 白く光が射す。暗い夜は去った。これからは、ずっとともに。
 久方ぶりに、シャカはムウをしかと抱きしめた。



「馬鹿な弟子だ。師よりも先に逝くのか」
 シオンは午睡から水でも浴びせられて目覚めたような不機嫌さで目を開けた。
 唐突に手のひらに納められた一房の藤色の髪を認識した途端、それまでのその人物のことが流れ込んできた。いきなり手の中に納まったそれは、シオンを先程までの記憶の渦に引き込んでいたのだ。
 
 シャカもムウも、聖闘士を辞すときに死後誰の手にも触られたくないと遺言していた。記憶の中にはムウがシャカを葬ったときの記憶が残っていた。
 だから、そういうことなのだろう。
 弔ってやらなければならない。知己の手を借りようと声をかけようとして、シオンは自分の目頭が熱くなっていることに気づいた。



死にネタです。メリバとはなんだろうと考えつつ、こんなシャカムウを書いてみたいとふと思いました。
なんというか、聖闘士は聖闘士やめるとその反動で長く生きられない気がします。特にシャカ。

でもこの二人なら多分、二人っきりの世界でも楽しくしていそうです。