愛の挨拶





髪紐を銜えて、ムウは髪を纏めるのに苦戦している。
 いつまで経っても、毎朝の髪結いは難しい。上手く縛れないと髪が吊ってあとで苦しい。項の後でくくってしまえば良いと思って何度か試したが、どうも首が涼しくていけない。そして、見た目にも違和感が大きい。
 聖衣を纏っている時は下ろしていることも多いが、日常では髪は纏めていた方が断然に楽だ。
「ムウよ。軽い食べ物か何かないか」
 いつの間にか戸口に立っていたシャカが声をかける。少し前から居たようだが、悪戦苦闘するムウを観察していたようだ。
「……朝の挨拶くらいないんですか、貴方は」
 一旦髪を纏めるのを放棄して、ムウはシャカに向き直る。
 割合に近い地域の出身の二人は食の文化も多少似ている。だから、シャカは度々飯をたかりに来るのだが、ムウとしてはそれも頭痛の種だ。
「断食明けですか。今こちらにはそういう時に出せる物がなさそうなのですが」
「では茶でも淹れたまえ。それで我慢するとしよう」
 どっかりとムウの寝台に座る男に溜息を一つついて、ムウは茶器を手に取る。
 
 ふわりと香気が拡がる。故郷の香り。ジャミール産の茶は、時折貴鬼がこちらに来る時に必ず持ってきてもらうものであった。
 砂糖と牛乳を多めに入れる。空腹なら、この方が良いだろう。 
「――ところで」
 茶器を渡して、ムウは椅子に座る。意識的にシャカとは距離を置いてしまっているが仕方ない。
「君の髪は美しいが、そんなに面倒なら切ってしまえばいいのではないか?」
 至極もっともな意見だ。ムウはどう説明しようかと悩み――一番簡単な答えを出す。
「短髪は似合わないので。それに、ジャミールでは成人すると髪を伸ばすしきたりがあるのです」
 前教皇のシオン様もそうだったでしょう、と続ける。そういえばそのシオンもときおりぼやいていた。
 曰く「教皇のマスクが被りづらくて辛い」「そもそもマスクが似合わない」「髪がいくら梳いても拡がる」と。2番目のぼやきは少し違う気がするが。
 シオンはふわっと拡がる髪質だったから仕方ない。それを見ていた分、ムウは自分の髪質がまっすぐで良かったとしみじみ思う。
「ほう、初めて聞いた」
「髪が短いのは子供、髪を切るのは近親者の死または伴侶の死で喪に服している時ですね。だから、髪を切るのは気が進みません」
 それに――と言いかけて、ムウは黙る。これは別に言わなくても良いことだ。
「言いかけたなら全て言ってしまいたまえ。ジャミールの民俗というのもなかなか心そそられる」
 促されて、仕方ないなと思いつつ続ける。
「髪紐にも一応意味があるのですよ」
「それは、先程君が手に持っていたものかね?」
「他に何本か持ってはいるんですけどね」
 立ち上がって一つの箱を出す。小さなその箱に、綺麗に並べられた髪紐は5本。
「触らないで下さいね。大切なものなので」
「ではそのようにしよう。しかし、見事な細工だな」
 久々にムウもそれをゆっくり眺める。ジャミールは高地故に産業が少ない。家畜を飼い、布を織り、糸を撚り、茶を作る、そんなものだ。
 そんな生活の中で意味を持つのは布と糸。針と刺繍。男女とも成人するまではそれを習う。成人、成女になれば、また別に役割をもらうのだが。
「――この端の髪紐は、母から3歳の誕生日に頂いたものです。これは母の姉。これは母の妹。こちらは母の祖母ですね。あとこれが……」
 シオンの髪紐。これだけは意匠がかなり異なる。シオンとムウは別の母系だ。通い婚の形態を取るジャミールは基本時に母系の血筋を主とする為、全てのものは母から伝わる。
「これだけ大分意匠がちがうな?」
 シャカは見透かしたように聞く。ええ、と呟いてムウはゆっくりとその紐を撫でる。
「ジャミールの里は通い婚という形態を取っているので、何もかもが母から伝わるんです。だから、これは別の母系の人のものです」
 ふと在りし日の師の姿を思い出し、ムウの顔が和らぐ。
「つまり君は、他人の髪紐を一番大事にしているのか。奇妙だな」
「シオン師の作ったもの、ですから」
 シオンが弟子入りしたムウに作ったものだ。
「男性でもそういった繊細なものが作れるのか」
 感心した、といった風にシャカが声を上げる。ジャミールでは普通なんですけどね、とムウは返す。
「求婚にも使いますので、作れないとだめですね」
「ほうほう、続けたまえ。その前にもう一杯茶を貰えないか」
 図々しく器を差し出すシャカに、ムウは箱を寝台において渋々言うとおりにする。次は普通の茶で良いだろうと、別の茶器を持ってきてそれに注ぐ。渡してからまた離れた椅子に座ろうとするムウの袖をシャカが引く。
「さっきから立ったり座ったりではないか。それならここが開いているから座るといい」
 シャカが示したのは、彼が今腰掛けている寝台の、彼の隣。
「……」
 抵抗感がないわけではない……が、言うことももっともだ。ムウは一人分くらいの間を取って座る。
「もっとこっちに来れば良かろう」
「嫌です。これでも譲歩してますから」
 素気ないムウの態度に、シャカは話を戻す。
「で、髪紐と求婚はどういう関係があるのだ」
「要するに、通ってきた男は、女に自分が作った飾り紐を渡します。数ヶ月通い婚を続けたあと、もしくは懐妊した場合、女は一番気に入った男性の髪紐で髪を飾ります。そして、結婚した際には、妻が夫の、夫が妻の髪紐と腰紐を作ります」
 腰紐はこれですね、とムウは自分の腰を指す。機織があれば自分でもこれくらいは織れるが、部屋に置いておくと邪魔で仕方ないものなので持ってきては居ない。
「通ってくるのは一人ではないのか」
「まあ……人によりますが……一人という人は珍しいくらいですね」
 ふうむ、と声を上げるシャカに、ムウは思い出したように付け加える。
「聖闘士になる子は違いますが」
「ほう?」
 ジャミールは聖闘士、とりわけ黄金聖闘士を多数輩出している地だ。しかもここ二代にわたっては教皇すらジャミールのもの。
「3歳になった子供は、全員族長の元に挨拶に行きます。その時に、族長が決めるのです」
 私の年は、私の他に2、3人いましたが、私だけが聖闘士になるように告げられましたと、懐かしそうにムウは言う。
 聖闘士はある意味でジャミールの子供の憧れだ。しかし、それはジャミールの社会の輪から外れることも意味する。
 何代か前の族長――シオンの師、ハクレイの代からは聖域を離れて隠棲し族長になったとしても、普通の一族のものとは関わらない傾向が強まった。
「聖闘士修行をはじめた子供は、仮成人として扱われ修行場に行きます。その時に、家族との縁は全てなくなります。居なかった子になるのですよ」
 この箱を渡した時に母は言った。これが貴方に出来る最後のことですと。
 せめてこれから少しずつ伸ばしていく髪を、私たちの贈り物で飾って欲しいと、母は告げて、彼女は振り向かずに去っていった。もう、母と子ではないとその背が告げているのを、ムウは寂しく思ったのを覚えている。
「……で、君がさっき悪戦苦闘していた紐だが」
 追想に沈んでいたムウを、シャカの声が引き上げる。
「これは、どれとも似てない意匠だな」
 いつのまにやら、髪紐を勝手にシャカが手の中に納めている。
「あっ……」
「……君の母の系統の部分とシオン殿の系統の部分があったり、他に新しい意匠が入っている……これは自分で?」
 ムウは悪戯を見つかった子供のような顔をした。
「え、ええ。たまには、こういうものを作るのも楽しくて」
 見透かしたような態度で、薄い色のさらさらとした髪をシャカは掬う。
「ちょ……なにしてるんですかっ」
「なに、茶の礼だ。大人しくしたまえ」
 素早くきゅっ、とシャカはムウの髪を纏める。
「具合はどうだ」
「……大丈夫、ですけど」
 俯いたムウの顔が赤い。
「なにやら顔が赤いようだが、大丈夫か」
「何でもないですっ。そろそろ自分の宮にお帰りになったらどうですか!?」
「逆鱗に触れてしまったようだが……?まあ、退散するとしようか。また寄らせてもらおう」
 シャカが立ち上がって、扉に手をかける。そして、そこで振り返って最後の一撃を放つ。

「……次はジャミールでは他人に髪を結ってもらうのはどういう意味だか、じっくり聞かせてもらいたいものだな?」

「――ッ!」
 ムウの反応が面白くて、シャカはそのまま大人しく退散する。

「ったくどうして、あの人は、断食しようがなんだろうが元気なんですかね」
 てきぱきと茶器と部屋を片付けつつ、つぶやく。
 シャカに結ってもらった髪は、たしかに丁度いい。動いても髪が吊らないし、ちょうどいい高さで動きやすい。
 そっと結い目を確かめると、こちらも丁度いい固さで結んであった。それでも――。

 ――ジャミールでは、朝に他人の髪を結うことができるのは、子の母か、その伴侶のみである――。

「……こんなこと、言えるわけないじゃないですか……っ」
 髪紐を入れた箱を仕舞いながら、ムウは未だ火照った頬に指を這わせた。

ジャミールの民俗に関してはかなり捏造してます。こういう文化を考えていくのが大好きです。隙間産業。
紐は丸紐より平紐なんじゃないかなと思います。丸紐も良いけど髪紐だと滑るので、他のところに飾ったりするんじゃないかな。
あと最初は腰紐がホントに腰紐でした。下帯的な。

恥ずかしいタイトルだなと思って一回つけ直そうか考えたのですが、これしかないだろうと戻すという。

シオンの髪はふわっと広がるどころじゃなくてぶわーっな気もしますが流石にそれはとかいろいろ考えたりしました。
シオンの髪がストレートでもあんまり面白くないなと。もふもふしてたほうがいい。
シオン様とかムウが頑張って髪紐作る姿とかは萌えると思います。

なお、2014.06 パラ銀にて加筆修正のうえ収録いたしました。